Yasuhiko Osaka
非営利株式会社ビッグ・エスインターナショナル代表取締役/大坂塾塾長
ケーズデンキ(株)元常務取締役 (株)ビッグ・エス元代表取締役
上智大学・香川大学元非常勤講師 松下幸之助経営塾元講師
東京大学国際オープンイノベーション機構元共同研究員
ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章
日経産業新聞「仕事人秘録」にて
11月9日から27日連続で連載決定!
大坂靖彦氏(7)
松下電器で西ドイツ駐在
大坂塾塾長 若者よ、大志を抱け
一般人が観光目的で海外に行けるようになって間もなくの時期に、1年間の海外ヒッチハイク旅行は強烈なインパクトでした。帰国後、地元中学校やライオンズクラブから講演が舞い込む始末で、まさか私がと笑ってしまいました。
昭和43年(1968年)新卒の就職活動では、当時の文系人気1位の三菱商事の筆記試験が免除され、いきなり役員面接です。司会者は我が息子を紹介するように「大坂君は欧州24カ国をヒッチハイクして」などと褒めちぎるのです。面接前から受かったかな、なんて気分に浸っていました。
大坂靖彦氏(11)
訴訟問題を逆手に飛躍
大坂塾塾長 若者よ、大志を抱け
非効率な訪問販売を続けながら新店計画を温めました。リスクを冒す理由がないと両親から却下され続けますが、3年で社員と売上高を倍増させることを条件に認めてくれました。出店地は徳島との県境の香川県大内町(現東かがわ市)に決めましたが、電機商業組合による猛烈な反対運動に直面します。近隣の電器屋に迷惑がかかるという理由に全く納得できません。組合幹部に「私は故郷の香川に戻り、家業を継いだ。皆さんは我が子の挑戦を応援できないのか」と詰め寄りました。
壁を突破し、発案から3年もかかりやっと昭和50年(1975年)に開店したものの、4日後に客足がパタッと止まります。店名の「大坂屋」を法律違反だと指摘する内容証明が同業から届き、同じ内容の真っ赤なビラがばらまかれたのです。
大坂靖彦氏(12)
松下からリベート獲得
大坂塾塾長 若者よ、大志を抱け
安売りを武器とする家電量販店はメーカーのリベート(販売奨励金)で利益を詰み上げていたようです。一方、系列店の我々は松下電器産業(現パナソニック)製品しか販売できず、ブランド毀損防止を理由に売値は大幅には下げられません。品ぞろえに価格競争、どちらも勝ち目はありません。
松下を頂点とする数万の系列店は何を求められていたのか。黙っているだけでは来ないお客様を朝早くから訪れ、買ってくださいと頼み込み、すぐにお届けするという人力がすべての究極の体力勝負です。
松下ブランドと店の信用だけが頼りですが、やっとの思いで売った商品がもう廃番なんてことも。どうにもならない悔しさは一度ではなく、手持ちの現金もなかなか蓄えられません。
大坂靖彦氏(13)
松下系脱退、マツヤFCに
大坂塾塾長 若者よ、大志を抱け
大坂靖彦氏(15)
米大統領の言葉に身震い
大坂塾塾長 若者よ、大志を抱け
この数週間前に来日したブッシュ米大統領が奈良県のトイザらス店頭で「この店はすべての米国小売業に道を開いた」と述べました。これを聞き、私は改正大店法の影響があらゆる小売業に及ぶと予見しました。
このころ関東ではヤマダ電機(現ヤマダホールディングス)とコジマが安売り合戦を繰り広げ、この波はいずれ四国にも押し寄せます。私が属するマツヤデンキは迎え撃つ準備はできているか、己が導き出した計算に身震いしました。
関東では300坪(約1000平方メートル)規模の店が主流となる一方、マツヤは最大でも150坪(約500平方メートル)。大型化の必要性をマツヤ本部に何度も申し上げましたが、本格的な議論は加速しませんでした。
大坂靖彦氏(16)
地銀から融資を断られる
大坂塾塾長 若者よ、大志を抱け
全国の加盟会社中、売上高1位でマツヤデンキを脱する私の選択は無謀で無策だと受け止められました。数億円の資金が必要でしたが、香川が地盤のメインバンクは「1円も貸さぬ」と通告してきました。
先方は私が不正を働き、追い出されると思ったのでしょう。これまで支払日の見直し、返済遅れなど一切ありません。超が付く優等生のはずなのに、彼らの短い物差しでは経営者のビジョンを計れないのです。
高松市内のあらゆる金融機関を1カ月ですべて訪ねますが、どこも首を縦に振りません。倒産の2文字が頭に付きまとい、時間だけが過ぎていくあの悔しさは絶対に忘れません。
ある地銀役員は私の話を聞きながら居眠りし、別の地銀の常務には1年以上も無視されました。生命保険証書を握りしめながら迫ったこともあります。
大坂靖彦氏(17)
ケーズに提携先を変更
大坂塾塾長 若者よ、大志を抱け
某経済誌が「マツヤのFC手数料、8%に不満」と報じたように、誤解されたのが提携先を変えた理由です。たとえ手数料が高くても、そのビジネスモデルに永続性があるか、価値があり十分な収益が生み出せ続けるかが重要なのです。
当時のケーズはマツヤより規模が小さく、実は仕入れ条件は悪化しました。しかし、それでも売上高は2年で2倍超の80億円、利益は5割増の2億円と過去最高を更新しました。
大きな視点で両陣営を比較すると、メンバーが全国96社に拡大したマツヤでは徐々に出店余地が限られ、互いを食い合うように競合していました。10年前は金のように輝いていたビジネスモデルは金属疲労を起こし、大型化の波に対応することなど事実上、不可能だったのです。一方、300坪以上の店舗を基本とするケーズは、中四国や九州などブロックごとに1社のメンバーを配置するため、10~20年後も成長余地が残されています。こうした視点に立てば、ケーズ陣営への参画は必然の選択肢であります。
大坂靖彦氏(18)
ヤマダが四国に初進出
大坂塾塾長 若者よ、大志を抱け
ケーズデンキ第1号店の香川・屋島店の目と鼻の先にヤマダが開業し、壊滅的なダメージを受けました。3~4人のヤマダ社員が我々の店舗で堂々と値付けを調べ、安売り攻勢をかけてくるのです。売上高は約4割減、7カ月連続の赤字、現金流出が止まりません。
真っ先に取った防衛策が経費削減です。全経費の決裁権を社長である私に集約し、いかなる理由でも事後決裁を許しません。100円の消しゴムでも、です。
販売でも反転攻勢に出ました。屋島店のトップセールスたちが自信を喪失し、敗因を我々内部に求めず、市場環境が悪いと外部に押し付けるようになりました。まずい状態に危機感を覚え、徳島店から優秀な人材を異動させました。彼が水を得た魚のように売りまくり、周囲が自信を取り戻し始めます。そして彼はある意味ではライバルでもある同僚に、もっと成績が伸びるように売り方を指導していたのです。自らも目覚ましい結果を残し、周囲の人材を育て上げる姿勢に感激しました。
大坂靖彦氏(19)
米ベストバイと提携
大坂塾塾長 若者よ、大志を抱け
2002年ごろ、過熱し続ける「YKK戦争」は、テレビが数量限定で50円で売られるなどバカげた領域に達します。超低価格のしわ寄せはメーカーにも飛び火。この勢いでヤマダが一人勝ちとなれば、長期的に消費者が被る影響は語るまでもありません。そこで、米国の家電量販店大手、ベストバイとの提携を模索し始めました。
私は情報筋からベストバイ社長の中国訪問をつかみます。滞在先ホテルに朝駆けをかけると、なんと米ニューヨークにある社長個人宅にケーズホールディングスの加藤修一社長(当時)とともに招かれました。
交渉が煮詰まりつつあるころ、独自に調べた家電業界の世界情勢地図を披露しました。当時、国内シェアが十数位の我々が、世界を見据えることに先方は驚きを隠せない様子でした。私はケーズ陣営を「国内トップとなる」と断言。提携先とするよう進言しました。構想から足がけ5年、07年に提携に至りました。しかし、加藤さんは国内メーカーを大切にする姿勢を崩しません。安すぎる商品の流通は最小限にと、ベストバイからの小言を抑えつつ、仕入れたのはケーブルなど付属品が中心でした。
大坂靖彦氏(20)
ドイツ政府から功労勲章
大坂塾塾長 若者よ、大志を抱け
話はその45年ほど前に遡ります。無銭旅行に旅立つ半年前の1964年(昭和39年)、東京五輪が開催されました。私はドイツ滞在中、小学校を見つけるたびに「日本を紹介したい」とアポなしで訪問しました。ほぼ門前払いですが、興味を持ってくれる先生もいます。持参した東京五輪のスライドを披露すると、子供たちは興味津々です。
少し話すだけではもったいないと、ドイツの子供に日本に絵を送ってほしいと頼み、日本の小学生にドイツに絵を送るよう日本に居る父親に手紙で依頼しました。すると数カ月後に日独両国の学校に絵が届き、小学生が交流するイベントとなりました。今思えば、これこそが私のライフワークである日独交流の原点だったのです。
退任に先駆け、社会貢献のための非営利株式会社を設立し、00年からドイツ語スピーチコンテストを毎年開催しています。初回は参加者が少なく、幅広い勉強のためだと我が社の新入社員を強制参加させました。私がトイレから戻ると、義理で来ていた取引先の皆様の大半が会場にいない、なんて笑い話も。
大坂靖彦氏(21)
塾生は累計で1000社に
大坂塾塾長 若者よ、大志を抱け
ありがたいことに塾生は12年間で累計1000社に達しました。この連載で家電業界での出来事を中心にお伝えしてきましたが、これ以降は経営者人生で大切だと痛感し、塾生に講義する内容の一部をお伝えします。まずリーダーである経営者の理想像です。
経営者は居心地の良い安住の地を離れ、次の経営ステージに挑戦する勇気を持たなければなりません。私はマツヤデンキ脱退など、厳しい選択を自らに課しました。しかし、昨日と同じいつもの仲間に囲まれたまま、10年後、こんなはずではなかったと嘆く方が少なくありません。
そしてどんなに勇ましく先陣を切っても、振り返ると誰もいなかったのでは困ります。会社を支える幹部選びは重要です。私が最も重要視していたのが、物事を会社発の視点で捉えられるかです。業務命令に不満を持つべきでないということではなく、発想の起点がどこにあるかの問題です。
大坂靖彦氏(22)
問題社員の才能見つける
大坂塾塾長 若者よ、大志を抱け
私の経営塾でも「良い社員が来ない」と嘆く経営者が少なくありません。私はいつも、あなたのレベルに等しい人材しか来ませんよ、と申し上げています。
会社が発展する途上で、いわゆる「変な社員」が紛れ込みます。有名大学を出た学生は大企業に吸い寄せられ、我々中小企業にとっては来てくれた人こそが人材です。一を聞いて十を理解する、そんな人材を望むべくもありません。
私が経営者時代、実店舗を展開するビジネスモデル上、夢をかなえるために社員の協力が不可欠でした。そこで私は一見すると問題児のように映る社員に、キラリと光るダイヤの原石のような才能を探しました。
そして己の社長力でその社員を取り込み、会社という組織全体で受け入れる実力を作ってしまおうと、テーマをすり替えたのです。管轄する部課長はどうしても欠点に焦点を当てがちですが、大切な社員教育を通じて部課長も能力を磨いてほしかったのです。
Profile
香川県大手前高校卒。上智大学在学中24ヶ国をヒッチハイクで無銭旅行。
海外で活躍するビジネスマンを目指し、パナソニック入社(ドイツ駐在)。挫折して従業員3人、年商7000万円の家業の家電小売店に入社。
売れない訪問販売の毎日から、経営者として成功することを目指し自社の経営改革に乗り出す。
ナショナルショップ店、政府認定ボランタリーチェーン四日電、マツヤデンキ、カトーデンキ販売(現ケーズデンキ)と弱者の戦略で時代の先を読みパートナーを変えながら都度ステージを大きく変えた。
従業員800名、年商339億円の企業に成長させる。
2010年全ての役職をリタイヤ後、自身の全ノウハウを次世代の中小企業経営者に伝授すべく始めた経営塾・大坂塾は、現在までに900社が学ぶ。
夢・志を掲げ、その実現のために、妄想し、ひたすらシミュレーションを重ねて細部まで綿密な計画の上実行する。自らが実践し成果を出してきたメソッドをあまさず伝授し、経営者たちの成長を阻む棘を一つ一つ抜く指導により、多くの経営者が結果を出している。
若者への人生戦略の考え方を伝える『若者未来塾』、小中学生向け『ドリームシッププログラム』も精力的に開催している。
全国での経営者向け講演会は10年間で動員数10000人、コンサル実績1000回。
著書 『幸せを偶然につかむ』PHP研究所
共著 『新・現代の学生に贈る』『読書のすすめ』『生涯読書のすすめ』河合栄治郎研究会編
DVD 『兆しを捉える』
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